今更ながらプロフィールを更新したいと思います。
まずサクッと簡潔に
- マレーシアのクアラルンプール在住(2020年現在)
- 出身は東京
- アラサー
- 夫はインド人(ムンバイ出身)
- 建築学科出身のエンジニア女子
- マレーシアで語学留学
- マレーシアで就職、転職
- マレーシアで妊娠、出産
- マレーシアで子育て中(イヤイヤ期ボーイ)
この後はとっても長いのでお時間がある時にでも読んでもらえたら嬉しいです。大学時代の建築学科からお話しは始まります。
マレーシアへ到達するまで…
建築学科のエンジニア女子
小学校高学年の頃から高校まで引越しを数回しています。隣の市へ移動や、市内の移動など近距離の引越し。
マンションの内覧やモデルルームに行く機会がよくありました。だんだんと家、建物に関する事に興味を持ちだしたわけです。
建築学科でデザインの勉強がしたいと思い、大学へと進みます。
が、デザインのセンスが無い。課題で幼稚園をデザインする授業があったのですが、アイデアが全く浮かばず徹夜、図面を書くのも徹夜、模型も徹夜。元々手を使う細かい作業が苦手なので出来上がった図面も模型もダメダメでした。
そんな中、設備環境と呼ばれる計算を主とする科目が得意な事が分かってきました。設備環境って、多岐に渡るんですが例えば…
- エアコン仕組みを勉強する
- キッチンの排煙の計算
- 水道管を流れる水の速度を計算 などなど
計算をして一つの答えを導きだすのは、性に合っていたんだと思います。当然、大学4年で入る研究室も設備環境。
その後、日本での就職先も設備会社。マレーシアの就職先も設備会社、今となって続いてます。
設備会社へ入社
リーマンショックの大波に飲み込まれ、やっと手にした就職先。初めての就職先でも波に揺られました…
企画設計部
始めの1年半は東京本社で企画設計部に配属されます。食品工場のお客様を主とした設備会社だったので、配管の勉強をするよりもパンの作り方を覚える事が始まりでした。パンの作り方の工程を知らなきゃ、良いパン工場は作れない!と。
その後は名古屋名物の和菓子を作る工場に週一出張だったり、コンビニのお弁当工場だったり。色々と食品工場に出入りします。
私がパン作りを勉強している中、同期は建築現場にでて一回り成長して帰ってくるんですよね。かっこよく見えました。一つのプロジェクトを終えるとグッと経験値が増えます。私も設備会社に入ったのだから、現場は経験したい。ずっと思ってました。
ですが会社がそれを拒否する。実は私が初めての女性総合職だったので会社側も扱い方が分からな過ぎて、現場には出したくなかった模様。
2年間ずっと現場に出たいと言い続けて、やっと現場デビューを果たします。
大変だったけど楽しかった建築現場
建築現場と言えば3K。
- 危険
- 汚い
- きつい
確かにきつかったです。自分の時間は皆無でした。週6勤務で朝7時に家をでて帰ってくるのは午後10時過ぎ。週1の休みは整体に行かないと翌週から身体が持たない…
日中は現場チェックで外を走り回り、危険な場所でも足場を渡ってチェック。夕方になってから自分の図面作業開始。夏は暑いし、冬は寒い。
それでも毎日充実してました。上司にも同僚にも、土方などの職人さんにも恵まれました。笑ってました。
そして建物が一から作り出されるのを目にして建築の仕事って面白いと感じました。
会社を辞めるキッカケ
新年度になり、今度は技術部という現場に出る人の部署に配属されました。素直に言って嬉しかったです。また現場に出れるのが。
ですが、その時上司となった人と合わなかった。私には軽い仕事しか振ってこない。その時はもっとやりたい、もっと勉強したい、若かったのでハングリー精神があったんですね。
それでも上司は男の同期に何でも指示する。だんだん男女の差が躊躇になってきて、色々悩むようになりました。
今から10年前はまだまだ建設業で働く女性は一握りしか存在せず、その上司も私の扱いをどうしたらいいか迷ってたんだと思います。今なら理解できます。
まぁ、当時の私の結論としては、エンジニアとして知識や資格を持っていても、男女の差は埋められない。ならば私にしか持ってない何か特別を作らなければ、この業界生きては行けない!と思うようになりました。
その特別が英語だったんです。
そう思った1か月後に辞表を出しました。
なぜマレーシア
語学留学で来たのが一番最初、2014年1月。
英語の勉強の為にマレーシア?と思う方もいらっしゃいますが、理由は安いから!
もちろんオーストラリアやカナダとか候補に挙げていましたが、英語の環境下で長く勉強するという事を重要視して、東南アジアに決めました。
その中でマレーシアにしたのはマンツーマン授業がある学校がマレーシアだったんですね。
マレーシアが特別興味があるわけではなく、全然知らないけど暖かい国で良さそうだなぁ~、そんな気持ちで初上陸をしました。
マレーシアのクアラルンプール在住
そんなこんなで2014年よりマレーシアのクアラルンプール在住です。
気候は年間を通して25~32度。寒いのが嫌いなので、この気候が好き。また重度の肩こりだったのが、マレーシアに来てから緩和されてます。
マレーシアは親日国。日本食、和食レストラン、日本ブランドの物は身近にあります。マレーシアに居ても、不便ないです。
ゆるーい国民性。来馬した時はこの緩さに戸惑い、怒り、悲しんできました。が、順応すると心地よい。
マレーシア大好き♡
マレーシアで就職、転職、妊娠、出産も経験。その事は今後ゆっくりブログにしていきます。
ウシの事
さて、ウシ事を少し。好きな事、嫌いな事を書き出してます。
自分で決めたい
性格は…
かなり頑固ですね。これだと思った事は突き進むタイプです。
- 自分の事は自分で決める。
- 人に頼らない。
- 欲しいと思った物は買う。
- 故に自分で稼がないといけない。←働く理由の一つ
欲しいものがある時、ものすごい高い物でない限り、夫に相談せず買います。夫の許可とか、承認とか待ってる時間が勿体ないと思ってる。インド人夫Pちゃんは、説明しても納得できないと、そのことから一向に前に進めないタイプ。回答が来るまでに数日かかる…
自分のペースで進めたい。
断捨離好き
物を減らすのが好きです。とにかく余分なものを持ちたくない。全てを100%活用していたい。(緊急時にはちょっと困りますね)
1個買ったら、1個捨てる(寄付する)。これを守ってます。
カフェオレ好き
飲み物はカフェオレが一番好きです。朝はこれが無いと始まらない。
出産後、甘いものを欲しない体質になってしまったので、カフェオレはコーヒーとミルクのみのシンプルなやつ。
お金の勉強をしてる
ブログでお金のお話をするか迷いましたが、海外移住するにあたって日本円と現地通貨での収入は、日本に住んでいるときよりも、ずっと気にするようになりました。
語学留学をする前、学生になることで無収入になるのが怖かったので、お金の学校に通いました。怪しそうに聞こえますが、株で生計を立てているトレーダーの方が講師です。経済や投資の勉強、株のチャートの読み方は勉強しています。
父がファイナンシャルプランナーだったのもあり、投資の壁はそんなに高くなかったのも理由かな。20代半ば、海外にでる前から投資は始めました。
今後の人生設計、将来の資産に対してまだまだ危機感を感じており、勉強は続行中です。
これからもマレーシア生活続行
もう日本に戻れないと思うくらい、マレーシア生活に心地よさを感じてます。
皆さんが海外旅行を終えて、日本の空港に到着すると感じるあの安心感。私は日本への一時帰国からマレーシアに戻った時も、その安心感を感じます。
まだまだ発展途上国のマレーシア。発展するパワーが感じられる国なんです。日々変化している。
そんなマレーシア生活を続けていきたいと思ってます。